永代供養に伴うお墓じまい。恵那市営荒井墓地。
ホームページをご覧いただきましてありがとうございます。岐阜県恵那市のお墓専門店、加藤石材の5代目加藤椋です。恵那市営荒井墓地にて、お墓じまい(永代供養墓への引っ越し)をお任せいただきましたので、ご紹介いたします!
今回のお客様は当社にて建立してくださった方で、その後も追加彫刻など3代目のころからお付き合いがあり、まだ雪の積もる頃に遠方より訪ねてきてくださいました。
「自分たちは子供がなく、後を見てくれる人もいないので、動けるうちに永代供養に移したい」と、お墓じまいをご希望でした。
当社に過去の資料もありましたが、現状を確認する為、早速現地へお客様とともに向かいました。先祖代々のお墓が一基に戦没者の方のお墓等を墓地内にお持ちでした。
敷地内にはご自身で植えられた樹木や墓前灯篭がありました。お墓じまいをするにあたり、お客様や墓地の管理組合の方とお話しし、写真手前の下のほうにある石垣は仮に次に墓地を借りる方がある時に再利用でき、取り払うと地盤等も緩くなることが予想される為それ以外の部分を撤去します。
先祖代々のお墓を後ろから見たところです。昭和52年(1977年)建立と刻まれており建立から47年も経過していますが、汚れの付着も少なく、艶も残っていて後ろの景色を反射しています。いかに大切にお参りされてきたかよくわかるお墓です。
墓誌はすべて当社にて彫刻していただいており、数年前に新しい方を入れさせていただきました。墓誌もほとんど汚れておらず、きれいに保たれていました。
ご先祖様と戦没者の方の古墓です。これらもお墓じまいに伴い撤去します。
さらに古い供養塔も建っています。
正面には「三界萬霊塔」と刻まれています。
当地域では先祖代々のお墓を建てるとき、自宅の山などに建っている墓石を、荒井墓地のような地域の人々で共同管理する墓地に移設する際、敷地内に入りきらないお墓や古い江戸時代のお墓などを供養する為の供養塔を建てることが一般的でした。そのため個人の戒名が刻まれていない墓石も残っていることが多く、これもその一つです。
お墓じまいにあたり、お性根抜きの法要をされました。当社も参列させていただき、その後ご遺骨の取り出しをお手伝いして、ご一緒にご遺骨を整理してお渡しし、お墓の解体工事に入りました。
工事の様子です。すべてのお墓を取り外して、墓誌・灯籠なども撤去しました。広いお墓でしたので、時間をかけての解体となりました。
墓地の管理組合の方とお話しして残すことになった石垣はそのまま、他の石材等はすべて取り外して工事を終えました。
右奥にある間知石はお客様のお墓の一部でしたが、こちらも取り外すと墓地に影響が出てしまう可能性があるため、お話しした結果残すことになりました。
横から見たところです。この間知石をとってしまうと斜面になって土が流れてしまう可能性があり、ここが他のお墓への通路にもなっていることから土留めとして残しました。こちらのお墓はお墓じまいとなりますが、同じ墓地にはまだたくさんのお参りされる方がおられます。お墓じまいでは、墓地の管理者様等とお話して、今後もお参りにお越しになる方々がお参りしやすい環境を考えて工事をすることも大切です。
最後に、墓地にお清めの塩を撒いて仕上げです。こちらでの作業はすべて完了しました。
ご遺骨は、近くのお寺様の永代供養墓へ改葬されました。そのお墓の銘板彫刻も当社でさせていただき、こちらもお引き渡しをしてお墓じまいが無事完了となりました。
お客様はとても丁寧にご対応くださる方で、少し遠方にお住まいにも関わらず最後には手土産をお持ちくださって、「これで肩の荷が一つおりました。ありがとうございました」とお話しくださいました。当社で建立させていただいたお墓をこれまでとても大切にお参り下さいまして、本当にありがとうございました。お墓じまいという節目にも立ち会わせていただきましたこと、とてもありがたく思っております。
今回は、恵那市営荒井墓地でのお墓じまい・改葬の事例をご紹介いたしました。恵那市営墓地で墓地を返還する際は、基本的には完全に更地に戻すのが条件になりますが、お墓や周辺の状況等はそれぞれですので個々にお打ち合わせが必要なことも多いです。当社は管理者様とお打ち合わせをしながら現状をしっかりお伝えし、どういう最終仕上げにするのが、お客様にとって、墓地にとって良いかをご一緒に考えながら進めさせていただきます。安心してご相談いただければ幸いです。